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今年は天龍峡と命名されて170周年になりますおめでとう

 

景勝地天龍峡は、命名されるまでは「ホッキ」(川の狭い場所という意味)などと呼ばれていました川

さかのぼる事170年前、江戸時代の終わり弘化4年(1847)4月29日に天龍峡と名付けられました。

この日付は旧暦のもの、現代の新暦に換算すると弘化4年6月12日となりますカレンダー

 

岡山県出身で江戸で漢学を学んでいた阪谷朗廬(さかたに ろうろ)と、これを客人に迎えた地元川路の郷医で文人であった関島松泉との、文学談義のなかから天龍峡と名付けられました。

命名は峡谷の美を一気に筆を運んで書き上げた阪谷朗廬の「遊天龍峡記」によります。

この「遊天龍峡記」の碑は第二公園北側の小山の上に建っています(大正4年建立)ので散策の折にぜひご覧ください。

 

この「遊天龍峡記」は漢文で書かれていて現代人には非常に難しいものです。

書き出しはこんなふうに始まります。

本余愛諏訪湖明秀 沿天龍川南下 両山如墻壁 さく(山篇に乍)崿摩・・・』

この読み下し文は

本余、諏訪湖の明秀を愛でつつ、天竜川に添うて南下す。両山墻壁(しょうへき)の如く、さく崿(がく)天を摩す。・・・』

読み下し文でも非常に難しいものですね。

 

さて、天龍峡命名の一文はこの「遊天龍峡記」の一番末にあります。

本・・・因定称天龍峡

読み下し文は

本・・・因りて定めて天龍峡と称すと云う

第二公園の碑をご覧になるとき、一番最後の一文から『天龍峡』を探してみてください。

 

こうして名付けられた天龍峡、その後

星昭和9年 名勝指定

星昭和44年 天竜奥三河国定公園指定

となりました。

 

地元の宝として愛されてきた天龍峡星

この美しい峡谷ははるか彼方の遠い遠い時代から同じ景色があって、多くの先人が眺めてきたかと思うと感慨深い思いになります川(c hara)

 

参考文献 今村真直氏「天龍峡紀行」

 

by 天龍峡温泉観光協会お知らせ
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